「国籍って、いったいなんでしょうか?」
「離婚後300日以内に出生した子供の戸籍」の問題も、表沙汰になってきてますが、よく分かりません、この問題。
※「民法 第4編 親族」
◇日本国籍確認:フィリピンの子供9人逆転敗訴
〔毎日新聞 2007年2月27日〕
未婚のフィリピン人母から出生し、日本人の父の認知を受けながら、日本国籍がない子供9人が、国籍法3条に基づき日本国籍の確認を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は27日、全員の請求を棄却する原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。さっき、大阪・毎日放送の『ちちんぷいぷい』で解説をしているのを聞いて分かったことは、「母親が日本人なら、子供は日本の文化や習慣を身につけて育つが、母親が外国人なら、子供が日本文化を身につけられないので、母親が外国人の場合は、血縁関係のある実父が認知していても、日本国籍を取得できない」ということ。
えー、外国で生まれ育って、日本に長らく住んでいて、「日本人以上に日本人らしい外国人」(笑)もいっぱいいらっしゃるじゃないですか。
あるいは、母親が日本人以外の人と結婚して、ダンナさまの方の生活習慣に合わせて暮らしていたら、子供は、外国人の生活習慣を身につけて育つんじゃないですか?
「離婚後300日以内・・・云々」の問題も、法律が出来たときはおそらく、生まれてくる子供は「父親の家のもの」という発想で作られたのではないかと思うし、天皇家の「男系継承」の問題を一緒に並べては恐れ多いのかもしれませんが、「男の血統」に拘る一方で、こちらは「日本人の母親」に拘るというのは、すごく矛盾してませんか?
これでは、まるで、「ベッドの大きさに身長を合わせて」、はみ出した足を切り落としたり、足りなければ体を引き伸ばす・・・という寓話ですね。
実情をきちんと把握した上でなら、妥協の許されない部分は断固と妥協しないという姿勢を貫いても構わないと思いますが、実情と乖離し過ぎた部分は、柔軟に変革すべきではないのでしょうか。
外国人の「不法残留」の問題なども考えると、「日本は大和民族がずっと支配してきた同質的な国」なんて楽観的なことを、悠長に構えて言っている場合ではないのでは?
※参照記事
◇【正論】坂村健 自らの力で変われる日本を目指して
〔産経新聞 2007年2月28日〕
しかし、日本の議論を聞いていると「イノベーション」については、欧米と比べ意識の点で出発点から大きくずれているのではないかと、最近思うようになった。「イノベーション」という言葉自体、シュンペーターというオーストリアの経済学者が90年ぐらい前に言いだした経済用語である。「利益につながる何らかの差を生む行為」という意味で、決して技術に限った用語ではなく「遠隔地貿易での新しい仕入れ先の開拓」なども含まれる。しかし、日本ではちょうど新技術がお金を生む時期にこの言葉が入ってきたせいか、昭和31(1956)年の経済白書でイノベーションが「技術革新」と訳され、極端な技術偏重でこの言葉を捉えるようになった。
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