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二条河原落書

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「宗教と社会道徳」


同性婚合法ならカナダ首相を破門したいと司祭が発表
 〔エキサイト 世界びっくりニュース/2005年03月04日 ロイター〕
 カナダ・カルガリーのフレデリック・ヘンリー カトリック教司祭は、自分に委ねられるとしたら、カナダで同性愛婚を合法化しようとしているマーティン首相を破門にしたい考えを明らかにした。
 フレデリック・ヘンリー司祭は、マーティン首相の政策と宗旨は激しく対立するもので、二者が互いに和解するのは不可能だと述べている。


「同性結婚は邪悪」と強く非難、ローマ法王が新著で
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が新しく著した一般向けの新刊書「Memory & Identity」の中で、同性結婚について、社会を脅かす「悪の新しいイデオロギー」と非難していることが分かった。本書は、法王が哲学者の友人らと1993年に議論した内容と、その後に側近らと交わした会話を元にしたもので、善と悪の本質について、追求している。 ・・・・

 さて、政治と宗教とは、「分離」すべきかどうか? 「分離」できるものなのかどうか? “合理性”を優先させる近代民主主義的な政治は、“合理的でない”宗教界からの“お節介”を嫌うもののようだが、よくよく考えてみれば、民主的な手続きによって制定される「法律」が生まれる前には、「宗教の教義、戒律、律法」が、社会の秩序を維持する役割を担っていたはずだ。
 つまり、宗教の教義や戒律と民主政治の法律とは、対立するものでもなく、相容れない部分はあるものの、重なりあう部分がまったく無いわけではない・・・という関係ではないだろうか。

 民主主義的な社会においては、「数」がものをいう。生活上、なんらかの必要があって「同性愛婚」や「中絶」が必要であると考え、主張する人の数が増えれば、そうした人たちを“罰しない”という法律が新しく生まれてくる。

 歴史的にキリスト教を信奉してきた国、あるいは、イスラム教を信奉している国の人たちというのは、宗教的な戒律であれ、民主社会の法律であれ、「法(教義)に反すること、教義に定められていなこと」をする人というのは、その社会の中での存在を認められない・・・排除されるべき「異端分子」である、という発想でものごとを考えているのではないだろうか? 「異端分子」というのは、社会に混乱と不安を撒き散らす存在であるので、その他大勢の「秩序維持派」の平安を守るために、“犠牲”にならざるを得ない。
 どこかに監禁されるか、もしくは「死」を賜るか・・・ということになるだろう。

 だから、自分が伝統的な「法秩序」の中に収まりきれない存在であると知った人は、常に社会から排除される恐怖に苛まれているのかもしれない。
 「宗教の力」が絶対的であった時代なら、自分の“本性”を知られないように、静かに息を潜めて暮らし続けるか、そっとその社会から去ってゆくか、どちらかしかなかっただろう。
 しかし、「民主主義社会」においては、「同性愛婚」や「中絶」が、社会全体の秩序を乱すものでもなく、それが認められることによって生活上の利益を享受できる人が少なからずいることが、言語によって「論理整合性」や「正当性」をもって説明できれば「OK」・・・ということになる。

 中絶問題における政教の対立は、「人の命は、“どこから始まるのか”」という認識の違いから生まれている。キリスト教(カトリック)は、おそらく「精子と卵子が合体した瞬間から始まる」と考えているので、母胎の中で、目には見えない存在であっても「妊娠した時から“一人前”の人間」と考えている。だから、人工中絶は「殺人」であると主張しているはずだ。

 現代西洋医学では、「人の命の始まり」については、きちんと証明・定義されていないのではないだろうか? なんとなく「胎児が人間の形らしくなってきた頃」とか「母体の健康が害されない間」とか、それくらいの認識しか無いのだろうと思う。現代の「科学的」という形容詞は、それほど確固とした意味を持っているわけではないようだ(苦笑)

 では「同性愛婚」の善悪は? キリスト教は、性的嗜好が乱れたと伝えられている「ソドムとゴモラ」を代表とする過去の文明は、その社会の頽廃ゆえに滅びた、という事例に基づいて、「滅びたくないのならば、社会に頽廃を招くような“悪の種”は、蒔かないよう、もし蒔かれて芽吹いてしまっても、すぐにその芽を摘み取るようにしなければならない」と考えているのだろう。

 なぜか同性にしか“ときめかない”人たちが存在することは、否定しない。そういう人たちが、異性と“無理やり”結婚生活を送ることで苦痛を感じるなら、その苦痛は取り除いてやればいいと思う。
 ただ、法律で「同性愛婚」を認めるというのは、そうした「マイナス面」を取り除く以上に、「普通婚(?)」の人たちと平等な、「社会的利益」を受けられるようになる、ということだろう。例えば、納税の際に、「配偶者扶養控除」が適用されるとか・・・。
 一方、政治家たちは、「1票」でも得票数を増やすために、ぎりぎりまでマイノリティーにも、配慮する姿勢を見せたいだろう。しかし、社会全体が豊かで、潤沢な富がわき出てくるなら、そうした特別なマイノリティーへの配慮は許されるのだろうが、おそらくほとんどの国は、そんな「余裕」はない。

 この問題の本質は、「宗教Vs政治」というところには無いと、私には思われる。


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by rabbitfootmh | 2005-03-06 12:01 | その他もろもろ
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