「子どもはモノじゃありません」
いったい、何を伝えようとして、そんな言葉が出てきたのだろうか? 「不登校」の問題は、子ども自身と親と教師が心の内に抱えている要素と、家庭と学校それぞれの場の問題とが複雑に絡み合って生まれてくる。
そして、勘違いしてもらいたくないことは、「不登校」は、特定の病気の“病名”や“症例”ではないということだ。何か特殊な「治療」を施せば改善・治癒するものではなない。そういう勘違いが多くの人たちに根強いからこそ、「欠陥を修理すれば学校へ行くようになる」とか、「脳に何か障害がある“はず”だから、治療せよ」という発想が出てくるのだろうと思う。
しかし、どんな複雑怪奇な問題であろうとも、目指すべき方向性は決まっているのではないだろうか。それは、「一人ひとりの子どもを、心身ともに健全に成長させること」である。その“仕事”は、子ども自身の「伸びよう」とする力と、それを援助し導こうとする親や教師(学校)の力のすべてが必要だと思う。決して、どこかに責任を押しつけて済む問題ではない。
子どもにとって、養育してくれる親(あるいは親代わりの人たち)を代えることは難しいが、もし、どうしても、学校が子どもの成長に必要な援助や導きを与えてくれない場所であるならば、その代わりとなる場所や人とのつながり(不登校の子と親を援助をしてくれる組織やネットワーク)を探す努力はしてみた方がいいと思う。
「子どもの教育」を、自らの天職と思い、あらゆる努力と惜しみない愛情を注いでくれる教師が大勢いる一方で、児童・生徒やその保護者の顔が、カボチャか“腐ったミカン”にしか見えない学校関係者は、なかなか絶滅しないということなのだろうか・・・。
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◆「不登校児は不良品」福井県副知事、PTA研究大会で発言
〔共同通信 2004年11月1日 13時49分〕
福井県の山本雅俊副知事が、学校関係者らが教育問題を協議する
福井市で10月15日に開かれた「東海北陸ブロックPTA研究大
会福井大会」で、「東海北陸の生徒数は120万人で、そのうちの
1万4000人の不登校児は不良品だ」と発言していたことが1日、
分かった。
(以下略)