「ゆとり教育世代はダイジョウブ…って?」
◇茨城・通り魔事件 寺脇研「あの世代は人間体験欠けてる」
〔J-CAST テレビウォッチ 2008/3/25〕
元文部官僚の寺脇研は、「あの世代はバーチャルで、自然体験とか人間体験が欠けているというので、その後学校にそういうものを取り入れたが、彼らはその前の世代です」という。
これは、3月下旬に、起きた無差別殺人に対する『朝ズバ!』でのコメントらしいですが、今回の事件についても、同じことを仰せになるんでしょうかね?
今春、4年制大学を卒業して社会人になった世代が、「どっぷりゆとり教育」世代らしいですが(中学以降で)、それじゃあ、「ゆとり」の恩恵を受けた今の小・中・高校生たちの「いじめ犯罪」だのは、いったい何が原因なのでしょうか?
それに、ゆとりか総合学習か知りませんが、公立学校で、自然体験とか人間体験がたっぷり与えられているなんて、いったい何パーセントくらいの実施率ですか?
少なくとも、ご近所の小・中学校では、そんなご立派なカリキュラムがあるとは、耳にしたことがありませんが。
もっと遡って、戦後教育では、「人権を大切にしよう」という教育方針を貫いて実施してきているはずですが、どうも、その「人権」というのは、「自分自身だけが欲望を満たして快楽を感じる権利」のことではないのかと、思われてなりません。
犯人は「彼女がいない」ことにずいぶんとコンプレックスを抱いていたようですが、こういう人は、たとえカノジョができたとしても、「自分の気に入るカノジョではない」と、無い物ねだりをするのではないかと…。
自分の人生がうまく行かないのは、何でも親のせい、友人のせい、他人のせい、会社のせい、社会や政治が悪いせい…という社会主義的な発想から自由にならない限り、「幸福の青い鳥」は、見つけられません。
自分自身であっても、自分以外の人であっても、「なぜ殺してはならないのか?」というと、せっかくこの世に生れてきて、人生修行をしているのに、その修行と修行による向上のチャンスを奪ってしまうからです。
そして、地球の上に生きる生命はみんな、一つの大きな生命の源流に繋がっているのだから、たとえ末端に生きている小さな生命であっても、それが途中で断ち切られることは、全体の「痛み」「苦しみ」となるからです。
「情けは人のためならず」の逆で、他人を傷つけることは即ち、自分自身を傷つけることになるのです。
ゆめゆめ命を粗末にすることなかれ…です。
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