「もう、この顔見るのイヤ・・・(T_T) 」
文化庁もいつの間にやら辞めてる?みたいだし、今は「京都造形芸術大学教授」ってのが、公式の肩書きなんだろうか?
なんか、最近、やたらと露出度が高くないですか?
河合隼雄・前文化庁長官がお亡くなりになってから、やたらと・・・という気がするのは、私の錯覚でしょうか?
マスコミも、こんなヘンなオジさんを担ぎ出すのは、いい加減にやめようよ。
子供たちの「学力低下」の元凶なんだからね。そこんとこ、分かってますかぁ?
◇「それでもやっぱり ゆとり教育」 1
〔大阪日日新聞2007年8月12日〕
ただ、ゆとり教育というマスコミの命名は嫌いでした。イメージ先行で内容に関心が向かないのです。教育再生会議の方を含め、ゆとり教育をたたく人の多くは、その経緯や理念に誤解も多く、議論がかみ合いません。授業時間を増やし、詰め込み教育に戻っても時代錯誤でしかないのに…。この人が、「詰め込み教育」を目の敵にするのは、お父上に「詰め込みスパルタ教育」を施され、自殺未遂するまでに、追い詰められた経験が元になっているというのは、有名な話だし。
◆ゆとり教育の元凶”ミスター偏差値”寺脇研がやっと消える件
〔Here There and Everywhere 2006 / 10 / 17〕
彼は大学の医学部教授の父を持ち、エリート教育を受け、東京大学法学部を卒業している。しかしそのことを全く感謝していない。そして自分を東大法学部にまで行かせてくれた父親に対して、40歳を過ぎた今日までその生きざまを否定し続けている。そして未だに、父親さえいなければ自分は違う人生を送れたのにと「怨んで」いるようだ。
(中略)
寺脇の個人的な考え方の根底には、自分の父親に対する激しい「怨み」が渦巻いているということであった。「怨み」は「教育」とは対極にあるものである。彼は自分の父親に対する「怨み」を学校への「怨み」へと拡大させ、さらに日本の教育への「怨み」へと拡大させている。もしかすると日本という国への「怨み」へと転嫁させているのかも知れない。この教育改革の不健全性はまずそこにある。
マスコミとしては、「アンチ安倍」の刺客的存在として使ってるつもりなのかなあ・・・(^^;
この寺脇氏、対談なんかやらせると、議論の相手の話に「それはその通りです。いちいちごもっとも」と、絶対に自分が「反対の意見である」とは明言せずに、なんとなくのらりくらりとしゃべっている間に、「ゆとりバンザイ」をしっかりと盛り込んでるんですよねぇ・・・ぼやーっと聞いてる(読んでる)と、うまいこと乗せられてしまう。
「うなぎ論者」というか、なんというか(笑)
◆「ミスター文部省 寺脇氏の降格に思う」
〔女子リベ 安原宏美--編集者のブログ 2006-04-12〕
寺脇さんのロジックは何で壊されたかというと、苅谷剛彦氏にはじまる『学力低下論争』と呼ばれる論争だ。
寺脇さんのロジックというのは、かなり影響を受けていた宮台真司氏のロジックである。ある意味、寺脇さんは宮台さんの犠牲者のように思える。
で、当然であるが、寺脇さんが宮台さんとよくおしゃべりしてたときの教育界っていうのは旧左翼的「自由人権派」がほとんどである。格差問題というのはタブーであった。つまり麗しき「人間」を数字に換算するなんてーと思っている人が多かったからだ(今でもけっこういると思うが)。
苅谷さんが壊しにいったのは「受験戦争が悪で、学校の先生が悪で、子どもを抑圧していて、それが教育問題、少年問題の引き金である」といった常識である。
寺脇氏がイメージとして持っている理想の教育のイメージというのは・・・
「ミスターゆとり」とも呼ばれた元文科省官房審議官の寺脇研・京都造形芸術大教授は「ゆとり教育の目的は週5日制、個性に応じた教育、総合学習の3点だ。外野の要求でゆとり見直しの見出しが立ったようだが、ゆとりの理念はいずれも変わっていない。むしろ賛成といっても良い」と話す。自分自身が「詰め込み教育」がイヤだったから、週休2日にしよう。
〔産経WEB 2007/01/25 「【教育再生 安倍改革】第1次報告 授業1割増」より〕
父親が自分の好きなことをさせてくれなかったから、個性に応じた教育バンザイ。
教科書の丸暗記がイヤだったから、総合学習(これもいまだに実体のよく分からないモノだが)。
ところで、今回取り上げた「大阪日日」の連載モノ、これから、どんな論を展開するのか知らないけど、第1回目を読んだだけでも、「なーんか、うまくダマされそうだよね」って気がする。
80年代、ちょうど教育実習に行きましたけど、あの頃の「校内暴力」とか「いじめ」というのは、まだまだ「ごく一部の生徒の問題」という感じでしたし、「戦後教育のゆがみの表れ」なんて、言われてましたっけ?
それに、「詰め込み教育でストレス」なんて、そんなになかったでしょ? マンガの世界では、よく、分厚いレンズのメガネをかけた「ガリ勉」クンは、主人公に敵対するような存在として描かれてましたけどね。
学校の先生だって、「しっかりお勉強しなさい!」と言ってましたし、サヨクバリバリの先生だって、マメに小テストとかやって、暗記させたりしてましたよ。
「ぬれ落ち葉」って言葉は、89年の流行語大賞ですから、「80年代の象徴」と呼べるかどうかわからないし、「少子化」なんて、まだ騒がれてなかったんじゃないの?
寺脇さーん、もう、教育からは手を引いていただいてけっこうですよ。「韓流映画マンセー!」でもやっててくださいな(^^;
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