二条河原落書

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「親学って、“親業”のパクリじゃないのかな?」  

フランス、イギリス、アメリカ(シアトル市?ワシントン州?)や、明治時代の「独逸」の例まで引き合いに出してのご説明ですが、あまりもに大雑把過ぎて、「ほんと?」と思ってしまいます。

汐見先生の言葉も、ごく一節を抜き出しただけなので、どういう文脈の中で出されたものか推測もできませんし。

高橋氏の文章を読むだけでは、まるで、汐見先生が「親が子の教育の責任を捨ててもいい」と主張しているように受け取れてしまいますが、汐見先生は、ご自分の育児体験からも、「父親もどんどん子育てに関わろう」というのが基本姿勢の方ですから、なんだか、自分の都合のいいところだけをピックアップしてるんではないかと勘繰ってしまいます。

【解答乱麻】明星大教授・高橋史朗 子育てに親も責任を
 〔産経新聞 2007/07/11〕
(抜粋)
 わが国には親の責任を問うべきでないという根強い風潮がある。昨年、埼玉県が主催した子育て支援シンポでも汐見稔幸東大大学院教授(当時)とこの点で論争になった。

 汐見氏は「親が子を教育するのは危険が付きまとう」(7月24日付埼玉新聞)と主張した。このような考え方は改正教育基本法第10条1項に「父母その他保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と明記した(家庭教育)の条文に反するものだ。

 6月1日に政府の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議の中間報告が発表された。筆者が所属する「地域・家族の再生分科会」の「議論の整理」をまとめる最後の会議でも親の責任について論議になった。

 事務局案では「親も責任を持ち」「親もともに育つ」という「親学」の根幹の記述が削除されていたので厳重に抗議した結果、復活した。
「7月24日付」って???2006年の?
 ・・・・・・・
グーグルで検索した限りでは、このシンポは「2005年(一昨年)7月19日」に浦和市で開催されたもののようで、高橋・汐見両氏の「対立」をレポートされているブログを発見しました。

子育てシンポジウム開催(さいたま市)
 〔L-Care育児・子育て情報 2005.07.24 Sunday〕
 「子育て支援」「家庭教育」のあり方を巡っては、汐見氏と高橋氏の意見が対立。

 「子育て支援の土壌は枯渇している。栄養を与え、耕さなければ。しかし育児の社会化は大事だが、まずは親の自覚を促すことが第一。時には親の責任を問い、明確にしながら、親としての自覚を地域が支えることが必要」と語る高橋氏に対し、汐見氏は「親の自覚を促すことは賛成」と前置きした上で、「『親だからこうあるべき』『親だからしっかりしなさい』というのは子育て支援ではない。『親を甘やかすな』というが、育児の仕方を教わっていない上、家庭での育児項目や課題が急増した現代で、育児をうまく担いきれない人が出るのは必然、むしろ犠牲者」と反論した。

 「そもそも『甘やかす』との表現は、『育児は苦行だ』『逃げるな』と強迫しているようで、ますます少子化が進むのでは」と疑問を投げかける汐見氏に、高橋氏は「自覚を促す方法として、一方的に『こうあるべき』と“べき論”を説いても仕方ない。気づいてもらうことが大事」と応じた。

 また汐見氏が「家庭教育は好きじゃない。親が子を教育するのは危険が付きまとう。家庭は養育し、応援する場」と述べたのに対し、高橋氏は「親は子どもの壁になることも必要。家庭は教育の第一的な場所で、子育て支援の出発点」と家庭教育の重要性を説き、「子育て支援とは、親が育っていく支援体制をいかにつくるかが課題」とした。
教育者のような顔をした宗教家
 〔きょうも歩く 2005.07.19〕
高橋史朗の話は変だった。「主体変容」「守破離」「人格的知能」だの、変な言葉ばかり使って、できの悪い新興宗教の教祖のような自己完結している講釈を聞かされているだけだった。「主体変容」って何ですかね。チュチェ思想かね。

彼は共産党系教育学の基礎となる発達段階論を無批判に今でも受け入れ右翼的に応用している。いわく、発達段階に応じて、強制をしていくことが教育なんだ、自立はそれからなんだ、という言い方をしている。汐見教授などに冷やかされると、「しっかり抱いて下に降ろして歩かせろ」と同じ話を繰り返し、底の浅さを感じる。
 (中略)
レジュメらしきものにはもっともっと変なこと書いている。
怪しげな脳科学や、家庭教育への猛烈な信奉と、保育所に対する嫌悪と専業主婦へのばらまき手当の提案が語られている。埼玉の保育環境はほとんど良くならないだろう。自民党ばかりか、県政与党のこの辺の民主党議員たちも、保育所の充実に対しては、同様に家庭教育を弱体化させるものとして後ろ向きだしね。埼玉県の子ども・教育施策は石原東京都政以下になるな、と思った。土屋県政と比べると、私の頭の中では「きれいなファシズムより汚い民主主義」がリフレインする。
全体の記録も残っていました。(PDFファイル)
子育てコバトン通信No.10(7ページ目から)

結局、汐見先生が「危険のつきまとう家庭教育」と読んでいるのは、「親が親だからということだけで、上から強権的に子どもにいうことをきかせるような“教育”」であって、日常的なしつけは大切だとも言っておられます。

もう一人のパネリストである大日向雅美先生の『親に対しても、自覚を促そうとして、しっかりしなさいというのは簡単だが、しっかりしなさい、自覚しなさいということで、親を追い詰めたり、親自身が考えたり、戸惑ったりしながら育っていく力を削いでしまうことの方が私は問題であると考えている。』という言葉に、日々、まだまだ迷ったり戸惑ったり、自信を無くしたりしている最中の私は、「ほっ」と癒されますね(^^)


「育児は育自」という言葉は、主体的に育児について考えてきた母親なら、もうすでにあちこちで目にし、耳にしてきた言葉じゃないでしょうか?

こういう、政府が発信した情報を新聞なりテレビなりで受け取れる意識を持った親は、「今さら何を?」という感じだと思うのですが、政府のこの「警告」を届けなくてはいけないのは、新聞やテレビでニュースを見聞きしない親たちであるはず・・・というところが、ネックなんでしょうねぇ。



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ところで、政府が出してきた「親学」という言葉ですが、それとよく似た言葉に「親業」というのがあります。

「親業(Parent Effectiveness Training)」というのは、「親としての役割を効果的に果たすための訓練」という意味で、アメリカの臨床心理学者であるトーマス・ゴードン博士が1963年に始めたもので、決して「理想的な親像とはこういうものである」という枠組に、世間一般の「親」を管理指導して、はめ込もうというものではない。

それぞれの親と子が、より良い関係を築けるようになるための「気づき」を与えるもので、親自身の成育過程でできあがってしまった「他者との関わりのパターン」が、その子と良好な親子関係を結ぶことを邪魔している場合に、親の「硬直した関わりパターン」を解きほぐすことを目的としている・・・とでも説明したらいいのかもしれない。

決して「親という人間になれ」というのではなく、「親としての役割を果たせるように訓練しましょう」というものですし、その訓練の道筋もすっきりと整えられています。
 政府は社会全体の意識改革のため「家族・地域のきずなを再生する国民運動」に着手した。意識改革と制度改革は車の両輪であり、「親学」に基づく国民運動を通じて、親の「主体変容」を促しつつ、親心をはぐくむ環境整備を図る必要がある。〔同上 高橋氏のコラムより〕
こういう“物言い”では、「子どもが生まれた瞬間からあなたは親だ。親として強固な責任感を持ち、完璧にその義務を果たせよ。途中で逃げたら法律で厳しく罰するぞ!」と脅迫されているみたいですね(^^;

ゴードン博士の「親業」は、教師に応用した訓練プログラム(T.E.T.)もあります。
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by rabbitfootmh | 2007-07-13 23:33 | 子育て/教育
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