二条河原落書

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「坂上田村麻呂の墓?」   

謡を始めてしばらくしてから習った『田村』は、清水寺縁起などの伝説をもとにした「坂上田村麻呂(麿・マル)」が主人公(シテ)のお話です。

春爛漫、桜が満開の弥生に、東国の田舎wから京の都へ“お上りさん”でやってきた旅の僧が、清水寺に参拝してその建立の縁起を訊ねて夜に供養のお経を読誦していると、そこへ不思議な男が現れて・・・実はそれが、坂上田村麻呂の「霊」であった、というストーリー。

 ※能楽「田村」の写真 〔滋賀県立大学能楽部のサイトより〕

坂上田村麻呂の墓か=山科の西野山古墓-京大准教授、清水寺縁起で研究
 〔時事ドットコム 2007/06/04〕
 平安時代の征夷大将軍で、清水寺を建立した坂上田村麻呂の墓は、1919年に発掘された京都市山科区の「西野山古墓」である可能性が非常に高いことが4日までに、吉川真司京大大学院准教授(日本古代史)の文献調査で明らかになった。奈良、平安時代の上級貴族の墓が特定されるのは珍しいという。
 清水寺の起源をまとめた平安時代後期の書物「清水寺縁起」に、田村麻呂の墓地として水田や畑、山林を与えよという命令書「太政官符」が収められている。吉川准教授は「山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村」という場所に注目。平安時代の地図で地域を特定すると、西野山古墓が含まれていた。
なんと、6月6日から、ちょうど京都大学の「総合博物館創設十周年記念」の展示会で、「西野山古墳」の出土品の展示があるそうですよ。
 ※ 「総合博物館創設十周年記念 京大の至宝-蘇る宝たち-」(イベント)

テレビのニュースでは、「大刀」が映し出されてましたね。
あ、京都新聞のサイトに、写真がありました(^^)

田村麻呂の墓か 山科・西野山古墓 文献で一致
 〔京都新聞電子版 2007年6月4日(月)〕
 吉川准教授によると、平安後期の「清水寺縁起」に田村麻呂の墓の位置や範囲を示す記述があり、平安時代の山科周辺の条里図で調べたところ、西野山古墓と一致したという。同古墓から1919年に出土した金装大刀や鏡(いずれも国宝)などの年代がほぼ同じころで、上級貴族が所有するような高級品なことから、田村麻呂の墓だと判断した。

 現在、同古墓から南東約1・5キロの同区勧修寺東栗栖野町に田村麻呂の墓とされる遺跡がある。また、73年には民間の郷土史研究の論文で、吉川准教授と同じ方法によって、同古墓近くに田村麻呂の墓があるとする指摘がされている。


※画像をクリックすると拡大されます
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by rabbitfootmh | 2007-06-05 00:46 | その他もろもろ
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