二条河原落書

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「臓器不足解消? 臓器は充足するものなのか?」

産経新聞が好きな「ドナー不足」という言葉を聞くと、なぜか保守派の「少子化対策」と似通った発想を感じてしまう。

「女性は“産む性”である。母性を発揮して子どもを産もう」「女性は、結婚して2~3人の子どもを産み、立派に育ててこそ幸福になれるのだ」「女性が“産む”という心意気を持ってくれれば、日本の未来は安泰だ」



「臓器移植でしか助からない人たちを助けるために、あなたの臓器を提供しましょう」「あなたの善意が、難病で苦しむ人の未来を幸福にします」「臓器移植という医療手段の未来は、ドナーになろうという心意気のある人が増えるかどうかにかかっています」云々・・・


「臓器移植によってしか寿命が伸ばせない患者」全員を満足させるだけの数の臓器は、「臓器移植法」を改正しても、決して満たされることはないだろう。
健康で日々元気に暮らしている人の数の方が、臓器移植を待つ人々の数よりも、圧倒的に多いわけだから、臓器の供給が需要を上回り、「買い手市場」となるはずはないのに。

なのに「善意のドナーを増やしましょう」というアピールが続く。
日本人は、よほど「善意」の足りない国民なのだろうか?

【主張】臓器移植法改正 ドナー不足解決へ審議を
 〔産経iza 2006年11月27日〕
 ただし、ここで肝心なことを忘れてはならない。病腎移植はあくまでも緊急避難的措置であり、それを通常の医療行為として行わなければならないのは、ドナー(臓器提供者)が不足しているからだ。ドナー不足の解決を後回しにして病腎移植を論じるのは、本末転倒である。
 ドナー不足は深刻だ。人工腎臓(透析装置)で自らの生命を維持している透析患者は毎年増え続け、現在26万人に上る。腎臓移植を受けない限り、透析治療から抜け出すことはできない。にもかかわらず、昨年、死体腎移植や脳死腎移植を受けることができた透析患者は、160人に過ぎない。
 (略)
 ドナーを増やすにはまず、臓器移植法を改正することである。ドナー本人が生前に拒否していなければ、ドナーの遺族の同意で臓器の摘出ができるように改めるべきだ。ドナー本人の同意を厳しく求めるのは日本だけで、世界保健機関(WHO)基準も遺族の同意で臓器提供を可能にしている。
この」ドナー不足」という言葉に、違和感を感じている人はいる。
交通事故で幼い息子を脳死状態を経て亡くし、その腎臓を提供した医師の杉本健郎(たてお)氏だ。
 杉本さんは、あの日の手術室の光景を今も克明に覚えている。

 「手術台には小さな剛亮が裸で寝ていた。体の色はいつもと同じ。脈も打っている。おちんちんも『まだ生きているぞ』と言わんばかりだった。人工呼吸器のチューブが外され、執刀医らは剛亮の心臓が止まるのを今か今かと待っていた。無理もない。当時の移植チームにとっては喜びの瞬間なんだ。腎提供を申し出たのは僕なのに、そんな姿に無性に腹が立った」

 「『人工呼吸器を外せば五-二十分で心拍は停止します』と説明を受けていたが、剛亮の心臓は三十分たっても動いていた。『剛亮、息を吹き返すなら今だぞ』と心の中で叫びながら、いたたまれない気分になって『早く止まってくれ』と思ったりもした」
 (略)
 杉本さんは、今は「移植を受けた人が今も生きていたらうれしい」と願う一方で、「臓器提供を美談にしないで」とも思う。「臓器を提供しない家族は悪者になってしまう。僕は提供することで息子を失う恐怖から逃れたかっただけ。社会的貢献なんて後から付けた理由」と言う。

 「ドナー不足」という言葉にも違和感を覚えるという。「ドナーを豊富に出そうとすれば、脳死状態の人をみとる家族は『無駄な抵抗するな』と無言の責めを受け、理不尽な罪悪感に襲われる」と恐れるからだ。
 (略)
 だが杉本さんはあえて「移植海外渡航費は尊くて、脳死状態の維持は治療費のムダなのか?」と問いかける。「命の重さは同じはず。歩けず話せず働けず社会的価値は低い重度障害者でも、家族にとってはかけがえのない命をたくさん知っている。その究極が脳死。死にゆく命も救われる命も平等に尊重できる社会であってほしい」
杉本氏は、「脳死・臓器移植のシンポジウム」などでもよく講演されている方だ。「医師」と「ドナーの遺族」という複雑な立場を同時に経験していることで、講演依頼が来るのだろうと思うが、普通は、ドナーの遺族は、「プライバシーの保護」の名目によって、表立ってその体験を語るチャンスは与えられていない。

だとしたら、現在、議論されている「小児を含むドナー本人の意思に関係無く、家族の同意のみで臓器提供可能にする」という「臓器移植法改正案」の一つの内容が、正しいのかどうか、国民はどうやって判断すれば良いのだろうか?(もう一つの案は、ドナー本人の意思表示ができる年齢を、現行の15歳以上から12歳以上に引き下げるというもの)

今にも亡くなろうかという家族を前に、どのような心構えで「臓器提供」の是非を判断すれば良いのか、そのための事例や関係する情報がほんとんど「封印」されているというのに。
 病腎移植だけではない。「臓器売買」も中国の「死刑囚ドナー」もすべてドナー不足に起因する。
 臓器移植法改正案の成立が遅れれば遅れるほど、ドナー不足はさらに深刻化する。この国会で改正案の審議を早急に始めるべきではないか。〔同産経【主張】より〕
もともとは存在しなかった「臓器ドナー」であるはずなのに、『ドナー不足はさらに深刻化する』という論理は成り立たないのではないのか?
腎臓移植に関しては、糖尿病の予防法と治療法を研究してくれた方がいいんじゃないのかと思うし。

また、「病腎移植」や「臓器売買」はともかく、「中国の死刑囚ドナー」の増加(中国が安倍さんに「うちの新鮮な臓器はいかがでっかー」と売り込んでいるという話が、『週刊ポスト』に出てるけどw)の問題と、「ドナー不足」の問題とは、別個のものだろう?
「死刑囚ドナー」は、中国が外貨稼ぎのために、人間を「資源化」しているという話なんだから。

ところで、肝臓は、不治の病気をもったものを「ドミノ移植」してますよね? 肝臓はOKだけど、腎臓はNOなわけ?


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by rabbitfootmh | 2006-11-28 00:35 | 医療/生命倫理
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