二条河原落書

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「有限な数字から“奇跡”は感じ取れない」


2時間もかけて3億粒の米を数えて・・・ご苦労さまというしかないけど。
たった1個の精子が卵子に到達する確率は3億分の1だろうけど、排卵のタイミングとか、その前に、一組の男女がこの世で出会って深い仲になる確率まで考えると、とうてい有限な数字で考えられるようなものではない。

たかが「3億」に奇跡を感じ取れと押しつけるのは、無茶な話ではないんだろうか?

【命を考える】なぜ人を殺してはいけないか(中)「自分を大切に」から
 〔産経iza 2006.9.2〕(産経新聞8/29第1面
 生徒たちは机の上に散らばる米を1粒1粒、真剣に数えていた。大阪府東大阪市の市立長栄中学校。山下文夫教諭(63)のねらいは、米粒を男性の精子に見立て、その中から「自分」を探させることだ。
 「3億の精子のうち卵子に達するのはたった1個や。3億という数がどれくらい大きなものか、君らの命がどれほどすごい確率で生まれたのか体感してほしい」
 40人近い生徒が2時間かけて数えたのは3億にはほど遠い10万粒。それでも男子生徒が「自分がこの世にいることが奇跡だと思った」と感想文を読み上げると、山下教諭はこう付け加えた。
 「みんな自分の命の尊さは分かったと思うけど、隣におる子もそうなんや。自分の前後も、斜め横の友達も、みんな3億分の1やいうことを考えてや」
それよりも私が違和感を抱いたのは、
 ある日の授業では、教室にセーラー服や詰め襟服が持ち込まれ、自殺した中学生の新聞記事のコピーが配られた。死後、何年たっても勉強部屋がそのまま残り、制服がかけられ、かばんと運動靴が置かれている様子を想像させるためだ。生徒らの表情が見る見るうちに変わったそのとき、山下教諭はつぶやいた。
 「君らは死んだら終わりやけど、残された親の悲しみはずっと続いていく。君らはな、生きているだけで親孝行なんや」
という部分。




「自殺」に対する恐怖心を与えながらも、「人間、死んだら終わりや」というこの教師の言葉。

「死んだら、苦しみも悲しみも無くなる」ということなんだろうか? それは本当なのか?
あの世の存在、一人ひとりの個性をもった魂の存在を信じたい私には、受け入れられない発想なんだけど。

普通に考えても、「死んだら何もかも終わり」と思っていたら、イヤなことがあったら「じゃあ、死んじゃえばいい」という方向へ行くんじゃないだろうか?

人間の存在の出発点を、「無個性な卵子と精子の結合」という無味乾燥な唯物論を元にして子供たちに教えるのは止めてもらいたい。
そういう発想だから、次のような言葉も出てくるんでしょうし。

【命を考える】なぜ人を殺してはいけないか(下)二度と作れないもの
 なぜ、人を殺してはいけないのか-。東京大学名誉教授の養老孟司氏(68)は、ベストセラー「死の壁」の中で、ずばりこう答えている。「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」と。
 例えば、ハエを殺すのは簡単だが、そのハエを元に戻せるか。人間はロケットを造る技術はあっても、同じように空を飛ぶハエの生命の神秘については何もわかってはいないのだ、と。だが、この明快な論理さえ、現代社会では十分理解されているとは言い難い。
・・・・
 養老氏が続ける。
 「人を殺すなんて本当は簡単です。カッターナイフが1本あればいい。ただ、二度と作れないものを、その程度のもので壊してしまうなんてばかばかしいでしょう。そのあたりから子供に話していってもいい」
東大の名誉教授ともあろう人が、もっと情緒的な言葉で語れないものですかねえ。

「殺したら元に戻せない」・・・なぜ元に戻せないのか、「生命の神秘」だけではなく、この世界の成り立ちに対する畏敬の念というものを感じるところまでいかなければ、すごく中途半端だと思います。

【命を考える】なぜ人を殺してはいけないか(上)希薄になった「死」

 ※参照サイト
 「ものじゃないって」 〔酔狂だから^^; 2006/09/02〕


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by rabbitfootmh | 2006-09-02 14:55 | 医療/生命倫理
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