二条河原落書

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「死者の魂にかかわることは、宗教でなきゃ」+追記


「靖國神社」は、歴史が浅く、また特殊事情を抱えているため「神社本庁」に加盟していないとはいえ、「神社」なんですから、本当なら天皇陛下は国のために働いて無くなった方たちの霊を、「祭主」として祭事を取り仕切る立場にあるのではないのでしょうか?
そうだとすれば、「天皇陛下が“参拝”」というのは、おかしな表現のように思います。

靖国参拝:中曽根元首相、小泉首相の姿勢を批判
 〔毎日新聞 2006年8月9日〕
 中曽根康弘元首相は9日、NHKの討論番組の収録で靖国神社参拝問題について「天皇陛下が(靖国に)参拝できるようにすることが首相の仕事だ。それを自分が参拝するということだけで行ったり来たりしているのは思慮が足りない」と述べ、自身の参拝にこだわる小泉純一郎首相の姿勢を批判した。
それから、麻生太郎氏らが、「靖國を非宗教法人化すればいい」と言ってますが、正気なんでしょうか? 「国営追悼施設」なんかにしたら、それこそ総理大臣が「参拝」ではなく、慰霊祭の主催者にならなければいけないのでしょう? 




なによりおかしいのは「非宗教法人化」という理論です。
この世を去った「死者の魂」にかかわる仕事ができるのは、「宗教」しかないはずです。無宗教の行事で「慰霊」なんかできるわけが無いと思うのですが? 神社がいけないなら、仏式でやりますか? それとも、中国のように儒教式でやるんですか?(苦笑)
 ※『Newsweek』誌の副編集長、ジェイムズ・ワグナー氏は、『非宗教法人化すれば、
  鳥居や建造物を壊さざるをえなくなる。それは多くの国民がやりすぎと感じるだろう。』
  と言っている。〔2006.8.16/23号〕
  ・・・おっしゃる通りです。私自身、そこまで「想像力」が至らなかったことを恥ずかしい
  と思います。

「靖國問題は、近隣諸国にヤイヤイ言われることではなく、日本の国の問題である」という話も出ているようですが、だとしら、誰が参拝するとかしないとか、A級戦犯を合祀すべきか否かということが問題・議論の本質ではなくて、「日本の国家としては、公務で殉じた方たちの慰霊を、いかなる宗教(思想・儀礼)によって行うのか?」を、はっきりさせなければならない時期・・・締め切り日がやってきている、ということではないのでしょうか?

個人や企業のモラルが崩壊していると言われて久しいですが、それはやはり、日本国民の多くが「人間以外の“目”」があることを、忘れ去っているからではないのでしょうか?
「人間以外の“目”」を、神と呼ぶか仏と呼ぶか、その他何と呼ぶかはさまざまあるでしょうが、「善行も悪行もすべてを見通している目がある」と意識していればこそ、人は自らの思いや行いを正そうと努力できるのではないでしょうか?

「神 or 仏」を100%否定している国の代表核は、共産主義国の中国と北朝鮮ですが、そんな国では、国家を挙げてウソをついて他国を騙しても平気だし、客に不良品を売りつけても良心の痛みは感じないようだし、国民の人権など踏みにじって当然というのが「常識」です。

宗教を大事にしない国には、住んでいたくないですね。


追記
下記のブログで、麻生太郎氏のオフィシャルHPに、「靖国に弥栄(いやさか)あれ」という文章が掲載されていることを知りました。〔2006年8月8日〕
◆椙の森 「産経に失望。A級戦犯分祀発言などしていない。」 〔2006/08/09〕

確かに、「A級戦犯を分祀せよ」とも「首相になっても靖國には参拝しない」とも書いてありませんが、よく読めば「ノーコメント」を表明しただけのことではないのか、と思います。
というか、政治家は何を発言してもマスコミに叩かれて騒ぎになるので、靖國の方で状況を把握して「自主的に」片づけてくれ、と読み取れなくもないです。「よきに計らえ」ですか?(苦笑)
3. 現状の問題点
 ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。
(1) 政教分離原則との関係
 靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家であるわたしがこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなどは、宗教法人に対する介入として厳に慎むべきことです。  
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです
その後の説明も、何がホンネなのかよく分かりません。
(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
 本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。  
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。
 (中略)
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。
靖國神社に参拝し、奉賛金(寄付金)を納めてくれる、「カスタマー(顧客)」である英霊の遺族は「ジリ貧」になってゆく・・・だから国がその事業を引き受けてやる責任がある、ということです。ご丁寧に、その運営維持費の財源まで提案されています。

かしこい方なのかもしれませんが、「慰霊」の問題って、そんなに事務的な手続きで処理できるものではないのでは?


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by rabbitfootmh | 2006-08-09 22:14 | 外交・国際問題
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