二条河原落書

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「時代の変化と差別・・・“今ここ”での善悪の判断は難しい」 


長い年月にわたって、いわれの無い差別を受けてこられた方たちの苦しみや哀しみ、取り返せない時間への悔恨・・・そういうものを否定するつもりはないのですが、古い時代において「無知」によって引き起こされた過ちを、はたしてこれで償い、埋め合わせることができるものなのでしょうか。

現代における「エイズ」への無知と差別意識についても、後年、何らかの修正がなされることになるのでしょうか?

聖書:「らい病」表記を改める活動 岡山の牧師
 〔毎日新聞 2006年5月6日〕
 岡山県瀬戸内市邑久町の国立療養所「長島愛生園」にある長島曙(あけぼの)教会の牧師、大嶋得雄さん(65)が、聖書中の「らい病」「重い皮膚病」などの表記を改める活動をしている。普及率の高い聖書で表記をやめたケースもある。今年は、らい予防法廃止から10年。大嶋さんは「らい予防法以外にも差別を醸成してきたものはある」と話している。
・・・・
 大嶋さんは00年から2年間、米国の神学校に留学。「ツァラアト」がハンセン病を限定的に意味するのではなく、人間の皮膚や衣服、家の壁などの表面が損なわれた状態だったことを確認した。世界の神学者の間でも否定的見解が表明されており、医学的にも「患部の毛が『白く変わる』など、ハンセン病と一致しない」という指摘があるという。
私が好きな名作映画のひとつである『ベン・ハー』は、キリストの受難と奇跡を描いたもので、チャールトン・ヘストン演じる主人公の母親と妹が、過酷な状況の中で「らい病」に冒されますが、イエス・キリストが十字架上で絶命した瞬間に、本人たちの信仰心を証明するがごとく奇跡が起き、病が癒される・・・という筋書きになっています。



2~3年前にテレビで放映されていた時に、この病気の名前が、違う表現になっていたと記憶しているのですが(字幕になんとあったのか思い出せないのです)、もう少し前には「業病」と表記されていたような気も・・・。
 ※それを書き留めているサイトを発見しました。「悪疫」だ。そうだ、確かそうだった。
  木洩れ日・日記 2005年4月13日(水)・・・『砂の器』で考える
 ・・・映画と言えば、NHKの映画劇場で見た『ベン・ハー』では母と妹がらい病になって、そういう病人ばかりが暮らす場所に追いやられる場面で、字幕制作者は苦心の造語をしている。らいと言っては差別用語として放送上問題があるし、ハンセン病では古代の話にそぐわない。「悪疫」という字幕が出た。悪疫?って。
映画も見る前に解説が必要な時代になった。
   →「木洩れ日通信」

「らい病」あるいは「ハンセン病」(ではないかも知れないって?)に罹った人を「汚れたもの」とか「前世や先祖の悪業を受けたもの」とみなしたのは、古いユダヤ教であって、宗教の教義がその宗教の影響下にある人びとの生活絶対的なルールとなっている場合は、「差別はいけない」という発想さえ生まれなかっただろう。だから、その時代の人びとの無知を責めるわけにもいかないと思う。

そうした、不治の病、人びとが恐れる病に冒された人たちに、「愛の手」を差し伸べたイエス・キリストは、当時のユダヤ社会においては「掟破りの破戒者」「社会秩序を混乱させる謀反人」として糾弾されたのだということも、タイムマシンで時間を遡って、その時代の“空気”を肌で感じてみなければ、今の時代の人間には想像もできないと思う。

『聖書』は、2000年以上も前の、砂漠の限られた地域で信仰されていた宗教の教えやその地域の歴史(神話・伝説)を集めたものなので、グローバル化した現代社会を規定するには「無理」がある。
病気などでなくても、「取税人」が、なぜあれほどユダヤ社会で「汚らわしい職業」と見なされていたのかも、今の私たちには理解できない。カソリックが、なぜ今でも強硬に「中絶禁止」を求めるのかも理解できない人が大多数になりつつある。

「差別をイメージさせる言葉」をこの世から抹消しようとするよりは、「昔はさまざまな無知がはびこっていて、それが誤解や差別を生んだのだよ」と、真摯に、丁寧に“補足説明”として解説を付け加えた方が「親切」なのではないか・・・と思う。


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by rabbitfootmh | 2006-05-06 23:39 | 日本の社会問題
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