二条河原落書

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「恐怖心による“支配”は教育じゃないでしょ」


「体罰は教育だ」という言葉の意味を判じかねていたのですが、今朝のワイドショーでインタビューに答える中で、戸塚氏は「怒りが起きないとだめだ。体罰で恐怖心を与えて、怒りを起こすことが必要だ」というようなことを言っているのを聞いて、「こりゃダメだな」と思いました。

つまりは、「暴力(による恐怖心)で支配されること」に反発し、抵抗することを誘って、子供の活動エネルギーを煽ろう・・・ということでしょう?

まず、あの「顔」がイヤですね(^^;
目尻がギュッとつり上がって、「愛情」が感じられません。

「体罰は教育だ」戸塚校長が刑務所から出所
 〔アサヒコム 2006年04月29日〕
 今後の教育方針について「子どもへの態度は昔も今も変わっていない。体罰のこつは『進歩、進歩』と考えながらやることだ。それがなくなるとだめだ」と話した。
その「怒り」のエネルギーが子供自身の「進歩」につながるかどうかは、はなはだ疑問。
体罰を加えている人間の動機というか信念の方向性が間違ってるから、それによって起きる「怒り」のエネルギーというのも、人間を進歩させるものでは決してないと思う。
仏教でいうところの「瞋(じん)」というやつですね。獣が自己防衛のために、カッと牙をむくような時の感情ですね。



まあ、“利かん気”の男の子を育てた経験はないですし、自分が「女」だということもあるでしょうが、子育てや教育に「体罰」は必要だと思わない。やりたいとも思わない。

自分が体罰を受けた経験は、強いて言えば、小学生の時に忘れ物をして、みんなの前でほっぺたをつねられたことくらい(数人くらいが並んで順番にやられました)。あ、中学生の時に、英語をしゃべれない英語教師にクラスの半分くらいで反抗して、みんなで授業中にずっと正座させられたこともあるか。でも、その2回だけですね。
で、それで反省したとか、教訓を得たとか、ぜんぜん無いですね(苦笑) 屈辱的な気持ちを抱いたり、余計に反発したり。

「体罰」を加えないと、性根が直らない子供(人間)がいる・・・っていうのは、真実なのでしょうか?


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by rabbitfootmh | 2006-05-01 14:53 | 子育て/教育
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