二条河原落書

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「習熟度別学習指導・・・大阪市版」


うちの子が通う市立小学校では、昨年度から算数のみですが、3~4年生で「少人数クラス指導」と、5~6年生で「習熟度別学習指導」が導入されました。来年度、うちの子は5年生になるので、昨日、今年度最後の学級懇談会で、その「実施要項」の説明がクラス担任からありました。

はっきり言って「はあ?」という感じです。どこが「個に応じた学習」なん?

以下、学校側から配布されたプリントの文章をそのまま転載しますと・・・




① 習熟度別学習指導は、能力別学習指導とは違います。習熟度別学習指導は、どの子どもにも個に応じた学習指導を行うことをめざしています。学習グループの選択にあたっては、子どもの希望を尊重し、子ども・保護者・指導者が十分に話し合い、決定していきます。自分の選択したグループが習熟度に合わない場合は、(各学期末)懇談会で相談し、変更していきます。
② 子どもの習熟度に応じたよりきめ細かい・個に応じた指導を行うことにより、どの子も「わかる喜び・できる楽しさ」を感じる学習指導を推進していきます。子どもたちの間で優越感や劣等感がわかないように、グループには名前をつけません。
③ 子どもたち全員が「基礎・基本の力」を身につけるとともに、問題解決型の学習指導を進めることにより、「自ら学び、自ら解決する力」が身につくよう、指導を進めていきます。
④ 評価については、習熟度別学習指導に関わる指導者が、「子どもの身についている力」を学習指導要領の内容と照らし合わせ、十分な話し合いのもと絶対評価行っていきます。
で、保護者の方から「子どもの希望で決めると、仲の良い友だちと一緒のクラスになりたいからと、自分に合わないクラスを選ぶ心配があるが?」という質問が出ましたが、それでも「指導者(担任教師)からは強く、どのクラスにしなさいとは言えない」というような返事でした。

一応、1学年36名×2クラスを、3グループに分けることになってますが、1グループの人数の定数は決めないということで、実施1年目の今年度の5年生は、「ゆっくりクラス」1、「ふつうクラス」2という分け方になっているとのこと。 (発展クラスは無いということ)
子どもたちが、みんな「ゆっくり」がいいと言えば、3グループとも「ゆっくり」になるのだろうと思います。なんのための「習熟度別」なんや?

あるお母さんが「自分はもっとできるのに、“ゆっくりクラス”の方がラクだということでとどまっていたら、5~6年と2年間のうちに、できる子との差が広がってしまうのではないか?」という声もありましたが、担任は「詳しいことについては、校長の方に聞いてほしい」ということで、きちんと説明がありませんでした。

「ゆっくりクラス」と通称がついていますが、教師の方は「発展的学習をするクラス」のことを説明するのに、ものすごく口ごもるのです(苦笑) 「発展」ということを、“口にするのも忌まわしい”という感じで・・・。

また、自分の子どもが適したクラスに配置されているかどうか、「親子で十分に話し合ってほしい」と言うのですが、いくら高学年でも、自分の学習状況がどんなものか判断は難しいでしょうし、こまめにテストでもして確認できるわけでもなさそうですし、親だって、自分の子どもの学力が「平均」的なものとどういう位置関係にあるのかなんて、教師の側が何らかの「指標」になるものを出してくれなければ、判断も分析もできるわけはありません。

今の4年生の「少人数クラス指導」は、1クラス(36人)を半分に分けて、「理解の遅い子」と、「理解の早い子」(これも、「教室グループ」と「学習室グループ」と呼んでいます)に分けているようですが、「理解の早い子」のクラスであっても、そんなに発展的な学習内容になっているわけではありません。
授業中に「時間が余ったとき」(早く例題が解けたときなど)に、教科書以外のドリルの問題を自主的に解かせるくらいで、宿題の量が「理解の遅い子」たちより増えるわけでもないようです。

なぜこんなにも、「子どもたちの間で優越感や劣等感がわかないように」ということに配慮しなければならないのでしょうか? 学校の外に出れば、「勝ち・負け」「優・劣」なんてあって当たり前の世界が展開しているんだし。
彼我の間に「勝ち・負け」が見えた時に、それは「今現在」を輪切りにした状態ではあるが、今後、勝者としてどうふるまえば良いのか、敗者としてどのように心がけて「勝ち」の方へ向かってゆけばよいのか、そういうこと・・・大げさに言えば、「人生訓」とか「人生哲学」のようなものを教えることが大切だと思うのだが、今の公立学校内の教育では、そういう発想そのものもが見当たらない。

「負け組」「弱者」は優しくいたわってやるべき存在だと、学校でこんなに一生懸命教えている一方で、マスコミ報道ではライブドア問題で、敗者となった人たちを、連日叩きのめしている現実がある。
学校外の塾では、たびたびテストをやり、きちんと点数をつけ、偏差値をはじき出して子どもたち同士で競い合わせている。しかし、それで、卑屈になるのではなく、「次は○○クンに勝つぞ!」と闘志を燃やしてまた次の勉強に励んでいるのではないでしょうか?

子どもたちは、「みんないっしょ」を求めることに必死のあまり「個性」の薄められる学校と、勝ち負け・優劣が目まぐるしく展開している学校の外の世界と、どっちがホンモノだと思うでしょうね?

っていうか、単純な人間の本性として、「自分は○○よりできる、100点取れてエライ」と自分に自信が持てれば、次の目標をめざしてがんばれるものでしょう? 「あなたは100点取っても、0点の子がいたら気持ちが落ち込んでいて可哀相だから、喜んではいけません」と言ってるんですよね? 「あなたが金メダルを獲れたとしても、メダルを獲れない惨めな選手もいるんだから、幸福感を味わってはいけませんよ」と言うことと同じですよね?

そんな教育されて、健全な「自己信頼」の感情が育つわけないじゃないですか? 遠回しに巧妙に「100点取ろうが、成績が良かろうが、お前はダメだ、ダメな人間だ」と刷り込まれてるのと同じなんだから。

やっぱり、日本の教育は、おかしいのではないか・・・という結論に達してしまいました。
でも、懇談会の席では、「なーんにも知りませーん」という顔で、“猫をかぶって”いました(苦笑)
だって、何から手をつければいいか分からないし、担任や校長とケンカしても、事態が改善されるわけではないですしね。
一人ではなく、こういう状況の「マズさ」を理解して、志を同じくする保護者と、事を起こせればいいのでしょうが・・・今できることは、お金を払って、できるだけ子どもに良質な教育を受けるチャンスを与えてやることしかありません。
「我が子さえ良ければいいのか?」と批判されようが、そうするしかありません。


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by rabbitfootmh | 2006-02-23 15:17 | 子育て/教育
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