二条河原落書

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「ますます孤立する“家庭”を救うセーフティーネットとは?」


滋賀・長浜市の事件について、いろいろと詳しい情報が流れ始めている。
下記の記事↓の yokoiti さんと同じく、私も「音羽事件」をつい連想してしまった。
 ※「音羽事件」とかぶる滋賀・長浜園児殺害事件
  (アウトロー社会学アナリストのよしなしごと)

マスコミでも、容疑者逮捕の第一報が入った時にそういう声は出たが、やがて「違うもの」という扱いに変わってきたように思う。
今朝(20日)の産経新聞(大阪版)のトップ記事の見出しは、「自分も仲間外れ」 鄭容疑者、思い込み となっている。容疑者の「思い込み」「被害妄想」だということが強調されているような感じがする。
なぜ、「音羽事件」とは異なる事件という色付けがなされてきたかの原因を、「容疑者は、日本語、日本文化に馴染めない外国人」という要素に求めるのは、間違っているだろうか? 他にも、「娘の様子も尋ねず、謝罪もなし」とか、「娘孤立、周りの子が悪い」とか、容疑者の「勝手な思い込み」という論調ばかりだ。



ただ、母親は日本に来て7年くらいで、日本語の理解が不十分だっただろうが、子どもは生まれた時から日本で暮らしているし、父親は中国語がよく分かるわけでもなく、家庭の中では「日本語」で生活していただろうし、幼稚園児くらいではまだイジメに合う要素はほとんどなかったのでは、とも思う。

この犯人が日本人だったら、どうなっていただろうか?
「音羽事件」の時は、疎外感を感じていた被告が、被害女児の母親と仲の良いグループにイジメられていた、という話まで出て、思わぬ波紋も広がったが、今回は一方的に「容疑者だけがそう思っていただけ」という流れになっている。

そもそも、イジメとか虐待というのは、その度合いが「ある基準値を超えたら」そう認められるというものではなく、“被害者”の方がそう感じたら「虐待」だということも言われている。たとえ親は躾けのつもりで“軽い罰”を与えたつもりでも、子どもがそれを「虐待」と感じれば虐待なのだそうだ。
親の躾けの質がどうこうとか、子どもの側の“感受性”が強過ぎるとか、個々の事情はさまざまあるので、「標準値」を決められないものではあるのだが。

しかし、「音羽」と「長浜」は、容疑者が日本人と外国人という違い以外(送検される時の振る舞いには、“文化”の違いがはっきりでてますね)は、けっこう共通した部分も多い。

「音羽事件」の被告も、地方から夫の仕事の都合で、突然大都会の“ど真ん中”で暮らすことを余技なくされ、「私立小学校お受験」がごく普通のこととされていた地域での、不慣れな子育てに奔走する状況の中で起きていた。

また、両者に共通する要因で、男社会体質が根強いマスコミがあまり熱心に追求しないのは、「育児やママ友だち間のおつきあいに対する、仕事熱心な夫の無関心さ」ではないかと思う。

妻とひと回り以上も年齢差のある夫。不規則な勤務体系のため、なかなか女性と知り合うチャンスが無く、「国際結婚紹介所」を通じて出会い、結婚したという。
犯行が行われた前後時刻に、「妻の体調が悪いようなので、子守を手伝いに行ってやってほしい」と、夫が親戚に電話をかけていたという報道もあったので、事件直前の数日間、不眠で悩んでいた妻の状態を知らなかったわけではないし、夫なりにできる手を打ってはいるのだが、それがあと2~3日でも早かったら・・・という気もする。

大企業の大きな工場がある地域では、すでに「○○人町」のようなコミュニティが出現しつつある。こちらから「日本社会に馴染め」と強制することは、だんだん難しくなってくるだろうと思う。それそれの人が持つ「文化的背景」を尊重しつつ、「ご近所付き合い」とか「職場の人間関係」を調整するための発想や工夫をすることに、一人ひとりが協力してゆく努力が必要になってくるのではないだろうか?


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by rabbitfootmh | 2006-02-20 14:22 | 子育て/教育
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