二条河原落書

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「広島・長崎への原爆投下の是非」

TBSテレビ放送50周年 戦後60年特別企画 『ヒロシマ』(2005年8月5日放映)

残念ながら、番組全部を通して見ることができなかったのだが、後半に、60年前の8月6日に、エノラ・ゲイに搭乗していたハロルド・アグニュー博士を広島に招き、被爆者代表との「対話」を試みていた場面を見た。今さら、「彼」を責めて謝罪させても無駄なのか・・・という気はした。

今年、エノラ・ゲイの元搭乗員で今も生存している人たちに、イギリスやドイツのマスコミがインタビューを行ったり、ネット上に彼らの「共同声明」が出たりしたようである。
原爆投下前に「敗戦国」 エノラ・ゲイ乗組員 (河北新報 8/6)
エノラ・ゲイ元乗員、原爆投下後悔せず (日刊スポーツ 8/5)
60年前、日本に原爆を落としたアメリカ人たち (真説 日本語文法、パングラム、そして日々のこと 8/5)

彼らの発言は、投下直後から一貫している。
広島への原爆投下機、エノラ・ゲイと名づけられたB29の、空軍と海軍の二人の大佐を含む十二人の乗組員たちは、帰還後、ジャーナリズムにインタビューされても、広島の非戦闘員を二十万も殺りくしてきたにも拘らず、罪の意識を示さなかった。彼等は「上官の命令に従っただけだ」と言い、或は「アメリカを守るために必要だった」と言う者も「これでもっと多くのアメリカと日本の人が救われた」という者もあった。又彼らのある者は、「日本人はノーモア・ヒロシマだろうが、我々はノーモア・パールハーバーだ」とも言ったそうである。(「山河慟哭」サイトより)
心理学的な視点で考えれば、彼らが自らの「罪」を認めようとしない理由は“理解”できる。
「悪かった」「後悔している」と告白すれば、自分の人生の存在意義が根底から揺さぶられることになるからだ。特に、原爆投下によって「国家の英雄」として、輝かしい栄光を人生に刻み、その栄光の瞬間から「拓けた」素晴らしい人生を、自分自身の“手”で破り捨てることなど、できないと思う。 しかし・・・・

米ソ冷戦は終ったものの、現在、地球上には、地球全体を何度でも木っ端みじんにできる量の核爆弾が存在するという。「核の冬」どころではない。地球上に生きる生命体だけでなく、今、大気圏外で野口聡一さんが眺めているであろう「美しく青き地球」そのものが消滅してしまうのだ。

核爆弾によってもたらされる「死」は普通の「死」とは違い、肉体だけではなく、肉体の内に宿る「魂(幽体)」まで破壊してしまい、魂としての再生ができなくなるのだという話を聞いたことがある。いわゆる「成仏(肉体が滅びたあと、魂が極楽浄土へ迎え入れられて平和な状態となること)」もできず・・・その後60年、熱線に焼かれた魂たちは、どうなっていることだろうか。

映画『スター・ウォーズ』の第一作(エピソード4)で、帝国のモフ・ターキンが「デス・スター」の破壊光線でレイア姫の故郷の惑星を一瞬にして破壊したところ、その星が消滅する瞬間、オピ・ワンが「多くの人の悲痛な叫びの“意識”を感じた」というシーンがあった。
もし、広島・長崎に原爆が投下された瞬間、「オビ・ワン」が地球の近くに居たとしたら・・・。

一度作ってしまった核爆弾用の核物質は、簡単に廃棄処分できない。まずは、「これ以上作らない」ことが重要だ。それを考えるなら、北朝鮮が新たに「核開発」をするなどと発言していることが、いかにバカげているかが分かる。

原爆投下の任務を粛々と遂行した人たちには、「落とすこと」以外の選択肢は無かった。投下の是非を判断する権限の無い彼らに、「直接責任」は無かったかもしれない。
だが、罪も無く、一瞬にして「消滅」させられた人たちの“怨嗟の声”は、彼らの良心を責め苛み続けるに違いないし、それらの“声”の最後の一つが消えるまで、彼らが安らかな眠りに入ることはできないだろうと思う・・・・。

ただ一人、エノラ・ゲイの副操縦士であったロバート・ルイス副操縦士(故人)は、ニューヨーク・タイムズ紙の記者に頼まれて搭乗中に記録したメモ書きに「神様、われわれは何をしてしまったんだ」という悔恨の言葉を綴り、亡くなるまで悔やみ続けていたという。

また、アインシュタイン博士も、ある日本人との往復書簡の中で、「日本に対する原爆使用は常に有罪だと考えています」と述べる一方、当時の政治的な判断として、投下は必要であったと説明している。それが、多くの“良識的”なアメリカ人の声なのだろうと思う。

どのような形になるかは分からないが、アメリカという国も、「原爆投下」「無差別大量虐殺」の罪を背負い続けなければならないはずだ・・・と、私は思う。

戦争の中での、個人や国家の「罪と罰」は、数百年あるいは数千年のスパンの視点で眺めなければ、決められるものではないのだろう。
今現在、地球上に生命を受けている私たちにできることは、「できる限り、愚かな判断はしない」ということだけかもしれない。そのためには、過去の過ちを直視し、そこから有益な教訓を導きだし、その教訓に従うことだろうと思う。

※参考サイト
原爆開発と投下目標(山河慟哭)
「原爆 広島」(亀松歴史倶楽部)
特別掲載「原爆の記」(Tanemoの「文章世界」)
  注:2005年8月6日~15日の期間限定で、本TOPページに掲載しています。


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by rabbitfootmh | 2005-08-07 15:29 | 外交・国際問題
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