二条河原落書

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「マスコミが拡大させる“世間”のワク」


JR福知山線の脱線事故は、JR西日本の「親方日の丸」体質を糾弾する方向へと向かっている。マスコミ(特にテレビの)報道が、日本全国を一つのムラ社会にしようと画策しているようだ。

確かに、いろいろと外に漏れ出してこなかった問題を、JRは多々抱えているのだろう。特に、西日本はヒドイのかもしれない。オーバーランやミスが、事故後にもう多発しているように報道されているが、これまでは「当然」のことと見過ごされてきただけの「単なるミス」が、大事故で注目を浴びるようになって、マスコミが逐一報道するようになったために、「増えている」感じを与えているだけなのかもしれない。(もし、JRの運転士や車掌たちが、事故によるPTSDを抱え、それゆえのミス多発だとしたら、そのケアも早急に必要ではないのか?)

それは、「児童虐待」の問題でも言われていることだ。日本では昔から虐待は多かったが、これまでは「どこにでもよくある、珍しくもない問題」として、「マスコミが記事にする価値の無いもの」と見過ごされていただけで、そんなに急激に増えたわけではないと思う。

つい数日前に、家族でファミリーレストランに行った時、すぐ隣の席に、4~5歳の女の子と、2~3歳の男の子、その両親というグループがいたのだが、男の子が自分の前にあった水の入ったコップを不注意で倒してしまい、テーブルと隣に座っていた父親をびしょ濡れにしてしまうという「事件」が起きた。
ガラスのコップが倒れる「コトン」という音に、あー、やっちゃったな・・・と思ってそちらを振り向いた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、バシッという音を立てて男の子の頭に振り降ろされた父親の平手打ちのシーンだった。
「また、おまえはー!」という罵声で息子を上から睨み付ける父親は、倒れたコップを立て直すでもなく、濡れた箇所をタオルなどで拭くでもなく、ただ、威圧して叱責するのみ。向かい側に座っていた母親も続いて金きり声を上げて、「いつもいつも、あんたは! ごめんなさいは! 自分が悪いことをしたときには、ごめんなさいでしょ! わかったの? え?! わ・か・り・ま・し・た・か!」というような“説教”を延々と繰り返す。当の男の子は、泣きたいのを堪え、唇を噛みしめて許しを請うような目を見開いてじっと父親を見上げている・・・。この様子では、些細な失敗で日常的に叩かれているのだろう。泣いたりわめいたり、言い訳したりすれば、もっと叩かれ、叱責されるので、必死で声を押し殺しているのだろう。
こちらまでゲッソリと食欲がなくなり、料理の味がわからなくなってしまった。

話が逸れてしまったが、JR西日本の起こしてしまったことの原因は、企業風土や社員の価値観を土壌として“根”を生やしてきたものにあるのだろうとは思う。その原因を分析し、教訓として今後の「予防対策」に生かすことは重要なことであろう。

しかし、突然に大切な家族を失った人たちが、仏壇の前でJR幹部をどやしつけるシーンや、記者会見に臨んだマスコミ人たちが、感情的に「ちゃんと謝れ!」と恫喝する声を放映するのは、ちょっと「方向性が違う」のではないのか?
 ※「散歩道」さんの“正義の味方気取りですか?”参照

新聞では、毎日毎日、事故で亡くなった人たちの「人生」をドラマ仕立てにまとめた記事が掲載されている。テレビのワイドショーも、故人の家族や友人たちの「慟哭」する姿を流し続けている。だが、それは、「マスコミの仕事」ではないのではないか? それらの「慟哭」に共感しなければ、“冷酷な人間”というレッテルを自動的に貼られるような気持ちがして、ここ数日はテレビニュースを見るのが苦痛だ。まるで、コップを倒したくらいで、容赦なく平手打ちされ、その痛さを訴えて泣くことも、言い訳しすることも赦されずに耐えるだけの、あの男の子の気持ちと、妙にダブってくる。

「義理と人情」で共感や絆を深め続けなければ「村八分」にされる、「世間」のワクが、昨今のマスコミ報道によって、どんどんと拡大されているような気がする。同じ気分を味わえなければ、「ヨソモノ」として“はじきとばされる”村社会の掟が迫ってくるような、ある種の恐怖心を感じる。

同じことを考えた方もあるようだが、ふと、高校の現代国語の教科書に載っていた、志賀直哉の『正義派』という文章を思い出した。線路工夫たちの「正義感」を振りかざす姿が、今のマスコミ人たちの姿とダブって見える。

もう一つ思い出したのは、飛行機墜落事故で奇跡的に助かった男を主人公にした『フィアレス』という映画だ。アメリカ人が、「不慮の事故」「突然の不幸」「奇跡的な生還」をどう扱うのかを表現していて興味深い。

あと一つ思い出すのが、たびたび取り上げているが、『トータル・フィアーズ』という映画。テロ組織が仕掛けた爆弾によって、アメリカのボルチモア港一体が壊滅的な状態になるのだが、その直前、すぐ近くにアメフトの試合を観戦に来ていた大統領が、CIA長官とシークレットサービスによって、危機一髪で難を逃れるシーンは、日本人には決して描けないものだと思った。
核爆弾が持ち込まれたという情報を知ったCIA長官が、一瞬、スタジアムに集まった数万の観客の存在を、呆然と見つめるカットが続く。恋人同士、親子連れ、幼い子供たち・・・だが、我に帰った長官はシークレットサービスに呼びかけて、なりふり構わず大統領の脱出を試みる。それを何が起きたか分からず、肩をすくめながら見送る観客たち・・・大統領がスタジアムを出た直後、核爆発が起きて・・・。
数万の観客の命よりも、残りの2億人のアメリカ人の命の安全を守る使命を負った大統領一人の命を救うことを第一に優先する、という発想は、日本人には持てない。そんなシーンを描けば、きっと「世間様」が黙ってはいないだろうし(苦笑)

日本はいまだ、「中世」の世界に暮らしている。


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by rabbitfootmh | 2005-05-07 18:26 | 日本の社会問題
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