二条河原落書

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「テレビ見るの、疲れてきた・・・次いこう、次!」


中国でのデモの映像には、ちょっと食当たり気味・・・。
あのエネルギーにはついて行けない。

あれを見て思い出したのは、山崎豊子原作の『大地の子』をNHKがドラマにしたやつでした。文革の時に、みんなが手に手に『毛語録』を握りしめて、「造反有理!」を連呼するシーンがあったと思うのですが・・・。

ところで、連日、中国関連の日本の知識人だの、自国擁護をする中国の学者だのが出てきて、「日本の過去の罪状」についての詮索がなされていますが、もうそろそろ、視線を「未来」へ向けても良いのではないでしょうか? まあ、中国人は「うん」とは言わないだろうと思いますけど。

だって、「過去のことはやり直せない」んですから。性能の良いタイムマシーンができても、無理でしょう。絡み合いもつれてしまった糸を指さして、「おまえのせいでもつれてしまった。謝れ!」と言われて、謝ってもいいけど、なんの問題解決にもなりはしません。その糸がどうしても必要ならば、解きほぐすか、解きほぐせる可能性が見えないならば、まったく新しい糸をよそから持ってくるしかありません。

だから、日・中・韓の三者で、あるいはもっと大きな“アジア”という範囲において、「望まれるべき未来イメージ」や有効な知識や知恵や政策をいろいろと出して、一人でも多くの国民が判断材料を豊富に提供して、「どの選択肢を取るべきか」を考えられるようにしてくれないか、と思うのです。

考える力・・・人間の思想には、世界(の姿)を変える力があると、私は思います。テレビで、遠く離れた中国の街街で、荒れ狂う若者たちの映像を見ていても、それをどう考えるべきか、どう解決すべきか、自分には何ができるのか、ぜんぜん思い浮かびません。知ったかぶりのコメンテーターや新聞社の論説委員の話なんか聞いても、ぜんぜん「未来」が見えてきません。

「参加型ジャーナリズム」というのは、「歴史」を創ってゆく責任を、生きている一人ひとりが担って、「次」を考え抜くことで生まれてくるのではないでしょうか? その「考える人たち」の「核」に、ぜひとも、プロのジャーナリストたちが存在していて欲しい・・・そう願いたいものです。

勝海舟や坂本龍馬、桂小五郎(木戸孝允)といった人たちも、もしかしたら、「ジャーナリスト」だったのかもしれません。自らが見聞した外国の事情、日本の事情を、多くの若者たちに教え、「さあ、どうする? どう思う? おまえさんたちは何をする?」と、常に問題を提起しつつ、多くの人たちを突き動かして、その人たちを明治維新の原動力にしていったのではなかったのか・・・そう思えてきました。

お笑い芸人になるのも、アイドル・タレントになるのもええかもしらんが、「歴史を創る人物」になるのも、そう悪くはないぜヨ・・・なんて、未来に失望しちゃってる若者たちの耳の中に、吹き込んでやりたいもんですね。


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by rabbitfootmh | 2005-04-19 00:53 | 外交・国際問題
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