二条河原落書

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「“脳死”につていの rabbitfoot の考え方」


脳死判定:東北大、初の心臓移植へ
 〔毎日新聞 2005年3月9日〕

  ・・・またやっちまったのかぃ・・・

難病のために、「臓器移植しか助かる方法はない」と、医者から宣告された方に対しては、「なんとか助けて差し上げたい」と、私も思います。
病院のベッドに寝たきりで、たくさんのチューブをつながれている姿は痛々しいし、「早く良い治療法が開発されれば良い」と願っている一人です。
ただ、「脳死」状態の人を「死んでいる」と、法律で決めることには反対なのです。
それから、ただ今現在、「脳死・臓器移植」を推進しているお医者さんたちが、ほんとうに「純粋に人道的な動機」でやっているかということにも、疑問があります。「白い巨塔」です。


私は、人間には「永遠不滅の魂」が宿っていると信じてる人間です。
その魂は、肉体が元気な間は肉体と“くっついて(重なって)”いて、感情や痛みをいっしょに感じているそうです。自分で体験できないことなので、自分が信頼できる人の話を「信じる」しかありません。

で、なぜ「脳死」の問題をガタガタ言うかと申しますと、「脳死」は、肉体が「完全なる死」へ向かっている途中の状態ではありますが、まだ、魂は「生きている」つもりでいます。というか、魂は決して「死なない」ので、突然事故とか、脳溢血とかで意識を失って、十分満足して「死」を覚悟しているのではない状態の時は、魂の方は「なんとか蘇生しよう」とがんばっています。
“どこで”がんばっているかというと、「脳死状態」の肉体の“中”でがんばってます。肉体が感じる痛みや苦しみは魂も感じます。

そういう状態(脳死)の時に、「あ、もう、死んだわ」と見限って、医者がメスで心臓だの肝臓だの、臓器を切り取られると、その痛みを魂が「感じてる」ということです。コワイです。生きながら内臓が切り取られてゆくのと同じ痛みと苦しみです。




「脳死」の状態では、脳が体の運動機能をコントロールできなくなっているので、魂が感じていることを、「肉体で表現」することができません。ドナーの「魂」が、激痛で七転八倒してのたうち回っているのは、誰の目にも見えません。叫び声も聞こえません。でも、“のたうち回って”います。
肉体は“のたうち回る”ことはできないのですが、でも、たまに「暴れる」らしいです。
暴れるまではいかなくても、血圧が(死体の!)めちゃくちゃ上がるのだそうです。計器を見ている助手の人は、ビビりまくるそうです。だって、「死んで」たら、絶対血圧なんか上がらないですから。
血圧上昇のほかに有名なものとして、「ラザロ兆候」というのがあります。ラザロというのは、イエス・キリストが死後に墓の中から蘇らせた男の名前です。つまり、「死んでいるはず」の体が、まるで「ラザロが生き返ったように」動くという症状です。よくあるのは、横たわっている脳死状態の人の両腕が“自力”で上げて、自分の胸のあたりで「祈る」ような“しぐさ”をする、というものだそうです。

そういうことは、医者や病院が「ドナーのプライバシーの問題があるから」という名目で、ひた隠しに隠しているので、大手の新聞やテレビでは報道されませんし、もしかしたら、政治家や厚労省の役人が「情報統制」しているかもしれません。
でも、「臓器移植法」が施行されて「第1例目」の、高知赤十字病院で脳死になったドナーは、「かなり暴れた」という話を、あちこちで読みました。暴れて、とうてい「臓器摘出できる状態でなかった」ので、「あわてて麻酔をかけた」そうです。「死体」に麻酔?! それだけでもヘンです。アメリカでは、もう当然のことなので、脳死体に、最初から麻酔をかけて「摘出」するそうです。
 ※第13回 アメリカで、私が学んだこと(4) 臓器移植が意味するもの
   (松野良一氏)

「脳死」の状態では、やがて遠からず「死」に至るのですが、今、推進派は「1週間以内で死ぬ」と言ってますが、たまに、「何年も」生き延びる方がいるのです。すると「脳死では、自発呼吸ができない状態なのだから、人工呼吸器を外せばすぐに死ぬ。昔は人工呼吸器なんかなかったのだから、そんなものに頼っているのは、本当に生きているとは言えない。死んでいるんだ」と説明しています。
「そんな、ほっとけばすぐに死ぬ人の命なんか早いとこあきらめて、新鮮な臓器を移植したら助かるかもしれない人のことだけ考えましょうよ」というのが、今進められている「臓器移植」医療(?)の実態です。

「半死半生」の状態で臓器を摘出されると、肉体の方は本当に死んでしまいますが、魂の方は、ずっと“痛みでのたうち回って”苦しんでいるまま放置されています。するとどうなるかというと、自分(の肉体)が「死んだ」ことを受け入れられないまま、成仏できず、この世でさまよい続け、あの世に還れなくなります。あの世に還れないと、「次に生まれてくること(転生輪廻)」ができなくなります。苦しみのあまり、生きている人間に「祟り」ます。
あるいは、自分の臓器が移植された人のところへ、磁石で吸いよせられるように辿り着いて、移植を受けた人に「憑依」します。臓器移植を受けた人が、たまに「人格が変わる」例が報告されていますが、それは、移植された臓器の「もともとの持ち主(ドナー)の魂」が、移植を受けた人の肉体をハイジャックしてしまった状態です。

私が訴えたいのは、「脳死」状態に陥った人の魂が「安らかに天国に旅立つこと」を、積極的に妨げようとしている今の「脳死・臓器移植」の推進派の発想は、間違っている、ということです。

これまで、大手のマスコミは、「脳死を人の死とは認めない」という人たちの意見を封じてきました。「臓器ドナーになることは、人間として美しい“善意”の表現です」と訴えて、ドナー候補を増やそうと一生懸命PRしてきました。
今は流れていませんが、公共広告機構(AC)のテレビコマーシャルでは、大工さんの格好をした壮年男性が、「今まで何もいいことして来なかったけど、これ(臓器提供)をやろうと思う」と語るようなものもありました。まるで、良いことをして来なかった人生の「罪滅ぼし」が、「臓器提供の意思を示しておくことで、可能になりますよ」と言っているようです。まるで、中世キリスト教の「免罪符」のようです。

難病・奇病で苦しむ方たちは、救って差し上げたい。
でも、その方たちの「命の重み」と、脳死状態に陥った方の「命の重み」は同等であると考えて欲しいのです。「より長生きできる可能性」というモノサシで、「脳死の人の命は軽い」と考えないでもらいたいのです。

今年に入ってから、アメリカで、ずっと意識不明のままだった女性が20年近く経って突然、意識を取り戻したというニュースを、日本のマスコミは大騒ぎで報道していました。「脳死」になっても、「もしかしたら息を吹き返す」可能性があるかもしれません。

もう一度言いますが、「脳死は人の死ではない」「脳死状態で臓器を切られると痛い」と、私は信じているので、「脳死・臓器移植」には反対しています。

長くなってスミマセン <<(_ _)>>

 ※脳死に関するサイト(2000年に更新されたのもですが、内容的には古びていません)
 「脳死」臓器移植について(1)

◎上記の元記事が期限切れの場合は、下記へ跳んでください m(_ _)m
 ■毎日インタラクティブより


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by rabbitfootmh | 2005-03-09 16:20 | 医療/生命倫理
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