二条河原落書

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「“貧しさ礼賛”の精神論はいい加減にしてくれ」


産経新聞1月15日 オピニオン面・正論
  「取り戻したい与える喜びと豊かさ」 曽野綾子氏

曽野氏は言う。
 「私は一人のキリスト教徒として、信仰による現世利益を求めることは不純だと考えてきた。神が人間に、損得ではなしに、むしろ哲学や美学から自らの行動を選ぶことを許したのは、神の人間に対する信頼と愛の証と考えている。」
 「現世に運不運があるからそこ、それをいかに使うか、という点に人間の選択の余地がある。もし勧善懲悪が簡単に現世で行われるなら、人間はよき結果を得るために善行を行うという商業行為に近い行動を取るようになるだろうし、自分には全く理由のない不運を受けることによって、より高度な精神に達するという成長の機会も失う。」


だから、子どもたち(高校生)を、何十人か何百人か知らぬが、冷暖房も無い、テレビも無い「合宿所」に集めて、奉仕活動を強制的にやらせよ。そうすれば、大勢の中で自分がワガママを通すことをあきらめることを覚えて精神が成熟し、一人前の大人になれるだろう・・・というのが彼女の持論である。

とにかく、この人は「貧しさ」が大好きである。貧しさを経験すれば、人はワガママを慎んで常識的な大人になれるというのだ。本当だろうか? 彼女の理想の生活は、2000年前のイエス・キリストの生きた時代環境なのだ。豊かな樹木の育たない、乾いて荒れた土地で、衣食住に不自由し、どんなにがんばっても、欲望しても手に入れられない物質的な豊かさをあきらめたからこそ、イエスもその弟子たちも、信者たちも、貧しい生活を甘んじて受け、この世でいくら激しく迫害されようと、惨めに死んでゆこうと、「豊かな心を持つ」ことが可能になったのだ・・・ということだろう。

彼女の論理が正しいのならば、日本人は今すぐ、60年前に戻らなければ、まともな国民ではいられない・・・ということではないのか? そんなはずは無いだろう。

「貧しさ」が好きならば、まずはご自分が私財をすべてなげうって、貧しい人たちに寄付でもし、マザー・テレサのように、貧しい人たちの中に交わって生活されれば良いのではないだろうか?
それに、彼女が会長を務める日本財団は、競艇という「ギャンブル」に人々が無駄金を注ぎ込むことによって成り立っている組織だが、彼女は同財団就任の会見で「不正にまみれた富で友達を作りなさい」という聖書の言葉を使って、取材記者たちの“度肝”を抜いたらしい(苦笑) いったい、聖書のどこにそんな文言が残っているのだろうか?(↓下記サイト参照)

仏教なら、「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」という言葉があって、「仏(僧団)に捧げられる布施は、供物そのもの、布施する人の心、布施する相手の心の3つともが同時に清くなければならない」とされている。日本財団の場合は・・・?

曽野センセイ、日本の豊かさがお気に召さないのなら、ご自身が貧しい国へ移住されて、豊かな心持ちでお暮らしになれば良いことであって、他の国民に貧しさを強制するのは、「大きなお世話」というものではないのでしょうか?

 ■「不正にまみれた富・・」〔ルカによる福音書 16.1-13〕(1)
 ■「不正にまみれた富・・」〔ルカによる福音書 16.1-13〕(2)


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by rabbitfootmh | 2005-01-17 21:21 | 日本の社会問題
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